社会人というステータスを身に着け、はたらくということをしています。(ぴよぴよ1年半が経ちましたぴよっ)


あらし、みてますたまーーーーに。


気が付いたら、自分が二宮さんを好きになったときの二宮さんの年齢になったよってこと。


「ほんきですから」


タイムカプセル開けるみたいに、「あっ、、すき。」を思い出した。


大好きしかない思い出いっぱい。



ちっぷ

今になって思うこと


たくさんある。

自分がすきだったあらしと、今、CMでしか観ないあらしと。

にのみやかずなりっていう絶対的な存在。
求めなくなったら、いつの間にか居なくなってしまった。


たしかに大好きだったのに。
あらしと、あらしを好きでいる自分のことが。
誇りすら感じて。
でも、いわゆる“担降り”はあっけなく、無理のない自然現象だった。


久しぶりのエントリでまた浸ってしまっているけど。
にのみやかずなりって、秋冬が似合う男だなって思いながら。
学生時代の精一杯の思い出にじーんとしてみる。まるで元カレのよう。
フォルムも、雰囲気も、ぶさいくな笑顔も、全部大好きだった。


二宮くんがいなかったら今の自分じゃないんだろうなって。
こういうことを、恥ずかしげもなく文章にするあたり。
なんとなくねちねちした名残を感じて嫌になるけど。仕方ない。


二宮くんに「大好きでした」と言えるようになったとき
7年くらい彼に敗戦し続けてた自分の初勝利だと思った。乾杯。


ちっぷ

拍手!!!&お詫び!!!


ずいぶん長いこと更新が滞っておりました中、
訪問いただき、拍手からメッセージまでいただいております。
並ぶ星々の中に、常連さまもいらして嬉しい限り!とても安心感があります。


ありがとうございます!!!


もうかれこれ、3年くらいやってるんですねこのブログ!びっくりしました(笑)
うれし、はずかし、はずかし、はずかし(エンドレス)くらいの割合です_(._.)_

いやはや、このブログ開設してよかったっす。(ノД`)・゜・。

開設当初、いつか嵐から離れるから、いっぱい大事にしようと思ってましたが、ほんとに離れる日が来るとは!!!
嵐に対する想いはありますとも。ただ、離れちゃうよと言葉にしてしまうと、
ほんとなんだなーと実感してしまうものです。心の元カレです(笑)



そして、
な!ぜ!か!拍手欄にメッセージをいただいているにも関わらず、
全然通知のこなかったメール(涙)
お返事、大っっっっ変遅くなってしまい、申し訳ありません。
記事の後半にて、遅ればせながらお返事させていただきました。


お☆さま、コメント、ありがとうございます。


  • 温故知新かな

たまにやってしまう過去記事懐古!!!w

時が経つにつれて記事の書き方もなんだか偉そうになっており、
だーっ恥ずかしいこれぇーと思いながら、懐古タイムをストップしました(笑)
自分の過去に優しい潤くんを見習って、自分の過去を自分で抱きしめてやれるオトナになりたいっす(なんか重い)



5月病だもん♡とお昼寝しようとしてたら
とんだBIGNEWSですよ。


わいはで全力わいはですよね!!


(言いたかっただけ。)





以下、お返事させていただきました_(._.)_

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新米。


先日の報告記事、お☆さまありがとうございます。
毎日新しいことの連続で、大学で何やってたんだろう感もちょっとありつつ(笑)
それでも、1年目がとても大切と先輩方に教えてもらってるので
謙虚に頑張るしかないなと思っている今日この頃。です。

小さなヒカリ


仲良しのともだちがJr.を応援している。
かつて、自分と同じ場所をみていた彼女をさらっていったのはどんなやつだろう。
まさか自分もときめくのではないか…という淡い期待と、連日TwitterのTLを賑わす暗号、おそらくじゅにあの名前だろうと、なんとなくの興味で、覗いた世界。
そこは、想像以上にキラキラしていて眩しかった。
この瞬間から、不覚にも、お茶の間がスタートしてしまうことになる。
彼女に一晩中、その魅力を語ってしまうほど。案外あっさりこころを掴まれていた。




私は、じゅにあを見始めた。




「いついつから応援していました。」という一撃必殺のような一言は、嵐を応援しはじめてから幾度となく耳にしてきた。
どっぷりその界隈にいた私は、その大きさに素直に反応していた。
“長く応援している”というステータスは、きっと、どのグループのファンにおいても、誇れるものなんだろう。
ずっと見守ってきた、一緒に成長してきた。その時間は、宝物であり、重なる思い出は、お互いに共有できたりもする。もちろん、こだわらないひとがいることもわかっている。

かつて、私が茶の間を越えて応援していた彼(彼ら)は、誰かがずっと愛してきたその延長線上で、私がうっかり出会い、愛してしまったのだと、いつも考えていた。
“重ねた分のでっかい愛”をというフレーズは、かなりお気に入りだが、その重なりは、歴代のファンの眼差しの中で守られてきたものなんだと気づく。消えないと信じたいあのときの彼らとあのときのファンが相互に重ねてきた、たしかな夢。
言わずもがな、例えばスケッチの頃と、今現在は明らかに違う。
賛否両論はさておき、私には、スケッチという曲を、身近に感じられる日はこないんだと思っている。過去への憧れというきれいな言葉に、思いの丈を集約してみてはいるが、この曲に特別な思いを預けられないのは、実は自分にとって、救いなのかもしれないとも思っている。さみしいの量が少なくていい。聞こえはだいぶシニカルだが、それはそれで、相当切なかった。

ファンは誰かにさらわれたり、離れたり、帰ってきたり、なんなら新参者は常に存在するものだが、そうやって入れ替わり、立ち替わっていくファンの動きは、自分の周りをみていても理解できる。

理由はそれぞれ、いとをかし。

そんな中でも、ずっと応援してきたという、一途な眼差しの意味を、じゅにあの世界を覗いたことで、改めて知った気がする。
あのとき出会った心の彼氏は、いつしか心の旦那になるんじゃないか。たくさんの眼差し、それぞれの想いがあることを、ここにはまとめきれないけれど。

アイドルの愛しかたは自由でこそ。誰に許可とって好きになるものでもない。
ただ、結果として、それが誰かにいやな思いをさせなければ良いのでは……。と、個人的には思う。
そういった意味では、このエラそうな記事をあげるリスクも考えてしまうが、ここまで書いたのであげさせてください。(逃)


さて。

じゅにあくんたちをみていて、やっぱり感じるのが、ジャニーズの時間軸のズレ。
嵐では、ニノミヤ少年(30)が多めにもたらしてくれる感覚だが、じゅにあくんが見せてくれる世界には、この瞬間がたくさん落ちているのではないかと思う。年齢にしては、背伸びした楽曲の数々、じゃにの世界ならではの背伸び感に、確かにどきどきしている。やけに大人びてみえたかと思えば、年相応の無邪気な笑顔に一瞬でこころを掴まれる。普通の男の子じゃないか。ずるい。
個人的に、夜中にこの夢現を往き来する感覚はたまらない。
僕に振り向いて。そんな目で見つめないでと、キラキラな目に揺らぐこころと葛藤するのもたのしい。


私も、いつか彼らのデビューが待っていると信じて疑わないひとりだ。
2年ほど前のじゅにあの真実という番組の影響で、素直に期待だけが高まっている。
じゅにあ、じゃにーず新参者の私には、デビューというスタートの、華々しさを心待ちにするばかり。

デビューを想像しただけで、心のどっかでぎゅーっとなったこの感じが、自分が今感じられる精一杯の答えなのかもしれない。全員が、とはいかないから。

私が愛してやまなかったメンバーのうち3人は、かつてやめようと考えていたなんて、既知の事実が、今更ながら、おそろしく思えてくる。当時、彼らがどんな思いで、とれだけ悩んでいたか。私には想像しづらいが、デビューしたことそのものが、もしかしたら理不尽という位置づけだったのかもしれないなんて邪推する。
笑って話せている今があって、ほんとに良かった。そして、伝えたいありがとうに、またひとつ言葉にならない気持ちが接続される。


私は、気になる君がデビューする日を、心待ちにする。そして、何があっても、さみしくないこころの距離を模索する。


手放しで応援。茶の間の特権は茶の間のうちにつかっておかねば。
茶の間の次に、君のファンになれるのだとしたら、だけど。















  • びっくりすることに。

よわかてを観たけど、続きをみようと思えなかった。
単に、熱く人の気持ちを動かそうとする二宮を求めていないのか。
ストレートよりも変化球を投げる彼を観たい。
彼には、人の懐にすっと入っていっちゃう自分に酔っててほしいのかもしれない。
……理由じゃなくて、自分への言い訳になってきた。

本屋さんでぴくとあっぷ表紙の疲れ目に、おつかれさまです!と思いながら
泣きそうになって帰ってきた。

いつまでも が心に沁みたとき、もう、わかってた。


まとまらないから、まとめない。
ありがとうだけでも、伝わらないかな。